2024年9月8日、パリパラリンピックが閉幕しました。2024年9月17日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、日本を代表するパラリンピアン4人に、ゴルフの魅力やスポーツの意義についてインタビューしています。「みんなのゴルフダイジェスト」では、4回に分けて彼らの言葉をお届けします!【全4回中1回目】
山本篤(やまもとあつし)
新日本住設グループ所属。1982年静岡県生まれ。2008年北京から3大会連続で陸上競技に出場し、リオでは走り幅跳びで銀メダルを獲得。2018年冬季・平昌ではスノーボードにも挑戦。ベストスコアは79。
義足の陸上選手として初めてパラリンピックでメダルを獲得した山本篤は、今年5月に競技人生に区切りをつけました。
「メダルを目指すべきだと思っているので、今の状況では体力的にも年齢的にも厳しいと思いました」
今回のパリパラリンピックには、前川楓(走り幅跳び)のコーチとして、またNHKの解説者として参加しました(前川選手は走り幅跳びで6位)。山本が左足大腿部を切断したのは高校2年のとき。原付バイクで学校の部活に向かう途中の事故でした。「スポーツをしていたからリハビリも頑張れた」という根っからのアスリート。バレーボール選手だったが、陸上を選びました。競技用の義足を付けて走り始め、試合に出場したら楽しかった。1位の選手との差に悔しさを感じ、懸命にトレーニングし、3カ月ほどで僅差まで詰めました。そこからパラリンピックを意識し始めたといいます。
「チーム競技は監督の評価に左右される。陸上は義足さえあれば自分の好きな時間にできるし、記録を出せば人の評価は関係ない」
100m走、200m走、そして走り幅跳びへ。ここで花開きました。また、スノーボードもパラ種目になってすぐに挑戦。ゴルフは大阪体育大学3年時の授業がきっかけでした。
「最初は上手くいかなかった。全部右に行く。でも何だか楽しくて。一番陸上と通じることは全力でやらないこと。力が入ってはダメでタイミングが大事です。それにゴルフは長い時間メンタル的にも耐え続けなければいけない」
プロパラアスリートとしての開拓者でもある山本は、海外転戦や道具・コーチの必要性など、資金と環境の大切さを理解しています。「僕は大学で練習できるのですごくよかったし、実績も知名度もない僕を、地元企業のスズキが9年間支えてくれ、すごく恵まれていた」と言いますが、これは自分でアピールし、交渉し勝ち取ったものです。
「ゴルフの選手は大変。パラ種目ではないこともあるのか。でも、自分の見せ方やブランディング、一番は何をしたいか発信することが大事です。障害者スポーツとしてゴルフは一番いいし、いい意味でラク。クラブは中古で出回っていて、日常の義足でプレーできる。僕も歩くのは大嫌いですけど、ゴルフならめっちゃ歩くし、自然にすごくいいリハビリになります」
山本は個人的にランニングクリニックを開催しています。
「スポーツが全然好きではない女子でも、走れるようになったらスポーツが大好きになって、今シッティングバレーの日本代表です。義足を使えるようになってがらっと変わったんです。きっかけを作れてよかったなと」
きっかけが大事だと強く語ります。
「周りの方の『やってみたら』の一言があるかないか。僕のきっかけはPT(理学療法士)さんだったけど、スポーツがリハビリの点数にはならなくても薦めてほしい」
今後の目標は、コーチとして世界で活躍できる選手を育てることとゴルフを頑張ること。
「ゴルフは僕にも伸びしろがあるし、可能性がある。秋の日本障害者オープンでトップ3に入りたい。試合の経験を積むことも大事。日本の試合は少ないから世界に行くしかない。試合で力を出すためには場数を踏むしかないので、なるべく行きたいんです」
欧州の障害者ゴルフの大会にも積極的に出場しています。元々ポジティブな性格なのでしょうか?
「確かにパラアスリートにはそういう人も多い。でも、障害者はスポーツをやらないといけない法律を作ってほしいくらいです。体力は上がるし、つながりができるから社会性が生まれる。それは仕事をして稼ぐ力にも変わる。納税し消費もする、するといい循環が生まれる。本人も豊かになるし、周りもハッピーになるんです」
長い間、日本のパラスポーツを引っ張ってきた男の挑戦は、終わることがありません。
山本篤(やまもとあつし)
新日本住設グループ所属。1982年静岡県生まれ。2008年北京から3大会連続で陸上競技に出場し、リオでは走り幅跳びで銀メダルを獲得。2018年冬季・平昌ではスノーボードにも挑戦。ベストスコアは79。
義足の陸上選手として初めてパラリンピックでメダルを獲得した山本篤は、今年5月に競技人生に区切りをつけました。
「メダルを目指すべきだと思っているので、今の状況では体力的にも年齢的にも厳しいと思いました」
今回のパリパラリンピックには、前川楓(走り幅跳び)のコーチとして、またNHKの解説者として参加しました(前川選手は走り幅跳びで6位)。山本が左足大腿部を切断したのは高校2年のとき。原付バイクで学校の部活に向かう途中の事故でした。「スポーツをしていたからリハビリも頑張れた」という根っからのアスリート。バレーボール選手だったが、陸上を選びました。競技用の義足を付けて走り始め、試合に出場したら楽しかった。1位の選手との差に悔しさを感じ、懸命にトレーニングし、3カ月ほどで僅差まで詰めました。そこからパラリンピックを意識し始めたといいます。
「チーム競技は監督の評価に左右される。陸上は義足さえあれば自分の好きな時間にできるし、記録を出せば人の評価は関係ない」
100m走、200m走、そして走り幅跳びへ。ここで花開きました。また、スノーボードもパラ種目になってすぐに挑戦。ゴルフは大阪体育大学3年時の授業がきっかけでした。
「最初は上手くいかなかった。全部右に行く。でも何だか楽しくて。一番陸上と通じることは全力でやらないこと。力が入ってはダメでタイミングが大事です。それにゴルフは長い時間メンタル的にも耐え続けなければいけない」
プロパラアスリートとしての開拓者でもある山本は、海外転戦や道具・コーチの必要性など、資金と環境の大切さを理解しています。「僕は大学で練習できるのですごくよかったし、実績も知名度もない僕を、地元企業のスズキが9年間支えてくれ、すごく恵まれていた」と言いますが、これは自分でアピールし、交渉し勝ち取ったものです。
「ゴルフの選手は大変。パラ種目ではないこともあるのか。でも、自分の見せ方やブランディング、一番は何をしたいか発信することが大事です。障害者スポーツとしてゴルフは一番いいし、いい意味でラク。クラブは中古で出回っていて、日常の義足でプレーできる。僕も歩くのは大嫌いですけど、ゴルフならめっちゃ歩くし、自然にすごくいいリハビリになります」
山本は個人的にランニングクリニックを開催しています。
「スポーツが全然好きではない女子でも、走れるようになったらスポーツが大好きになって、今シッティングバレーの日本代表です。義足を使えるようになってがらっと変わったんです。きっかけを作れてよかったなと」
きっかけが大事だと強く語ります。
「周りの方の『やってみたら』の一言があるかないか。僕のきっかけはPT(理学療法士)さんだったけど、スポーツがリハビリの点数にはならなくても薦めてほしい」
今後の目標は、コーチとして世界で活躍できる選手を育てることとゴルフを頑張ること。
「ゴルフは僕にも伸びしろがあるし、可能性がある。秋の日本障害者オープンでトップ3に入りたい。試合の経験を積むことも大事。日本の試合は少ないから世界に行くしかない。試合で力を出すためには場数を踏むしかないので、なるべく行きたいんです」
欧州の障害者ゴルフの大会にも積極的に出場しています。元々ポジティブな性格なのでしょうか?
「確かにパラアスリートにはそういう人も多い。でも、障害者はスポーツをやらないといけない法律を作ってほしいくらいです。体力は上がるし、つながりができるから社会性が生まれる。それは仕事をして稼ぐ力にも変わる。納税し消費もする、するといい循環が生まれる。本人も豊かになるし、周りもハッピーになるんです」
長い間、日本のパラスポーツを引っ張ってきた男の挑戦は、終わることがありません。
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